【第1部 安心の尺度】(16)いなくなった園児 無事確認した矢先…

原発事故で休園を余儀なくされた南相馬市原町区のよつば保育園の園舎
原発事故で休園を余儀なくされた南相馬市原町区のよつば保育園の園舎

 十八日の昼下がり。南相馬市原町区のよつば保育園で園児が静かな寝息をたてていた。カーテンの隙間から穏やかな光が差し込む。副園長の近藤能之(46)は子どもの無邪気な寝顔に目を細めた。

 「あれから間もなく二年になるんだな」

 近藤は保育室の壁掛け時計に目をやった。東日本大震災が起きた午後二時四十六分を刻もうとしていた。

 平成二十三年三月十一日の震災当時、近藤は園舎の二階で小学校入学を控えた園児に文字などを教えていた。一階では、年少の子どもたちが昼寝の最中だった。

 突然、激しい揺れが園舎を襲った。余震が続く中、子どもを園舎の北側の空き地に避難させ、園内のありったけの布団と毛布を与えた。園児は全員無事だった。津波の被害もなかった。

 だが、一息つく間もなく、東京電力福島第一原発事故が起きた。「園児が一人もいなくなるとは夢にも思わなかった」

    ◇    ◇

 震災から一夜明けた三月十二日。近藤は携帯電話やメールで在籍していた園児の安否確認に追われていた。前日、大津波が市内の沿岸部を襲っていたからだ。

 午後二時ごろだった。「福島第一原発で事故が起きたらしい」。近藤の携帯電話に、保護者から連絡が入った。福島第一原発で働く知り合いから聞いたとの話だった。「まさか。原発は安全なはず」。近藤は耳を疑った。だが、その情報は本当だった。約一時間半後の午後三時三十六分、福島第一原発1号機で水素爆発が起きた。

 政府は午前五時四十四分に福島第一原発から半径十キロ圏内の住民に避難指示を出していたが、午後六時二十五分には半径二十キロ圏まで拡大した。第一原発から保育園までは二十五キロほど離れていた。近藤は「まだ大丈夫」と安心した。保護者からの問い合わせがあるだろうと園舎にとどまった。

 翌十三日の夕方、市教委から連絡がきた。「震災と原発事故が起きたのでしばらく休園してください」。近藤は「地震による園舎の被害は少なく、落ち着けば、すぐに再開できるだろう」と思っていた。

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 二日後の三月十五日、事態は一変した。政府は福島第一原発から半径二十~三十キロ圏の住民に屋内退避を指示した。原発から約二十五キロ離れた保育園も含まれていた。当時、約二百十人いた園児と、保護者の多くが既に避難を始めていた。

 「津波からの園児の無事を確認できたばかりなのに。今度は原発事故で避難した園児の安否を確認しなければならないとは」。翌十六日、近藤は園舎の入り口に連絡先を書いた張り紙を残し、多くの園児が避難した福島市に向かった。

(文中敬称略)