【第1部 安心の尺度】(19)いなくなった園児 この町で暮らすため

近藤らの熱意で南相馬市に整備された屋内遊び場。子どもたちの歓声が響く
近藤らの熱意で南相馬市に整備された屋内遊び場。子どもたちの歓声が響く

 平成二十三年十月。南相馬市原町区のよつば保育園副園長・近藤能之(46)は園舎で悩んでいた。保育園を再開できたが、東京電力福島第一原発事故による放射線への不安から、多くの園児がまだ市外に避難していた。

 園舎を含め、園児の自宅の多くが原発事故の旧緊急時避難準備区域内にあった。「自宅を除染しないと安心して生活できない」。保護者から切実な声も寄せられていた。

 近藤は、全国からボランティアを募り、園児宅の除染に取り組むことにした。保育園の職員、ボランティア、依頼した保護者を交えて十人ほどが参加した。スコップを手に園児宅周辺の側溝の汚泥をかき出し、庭や花壇、駐車場の表土を剥ぎ取った。高圧洗浄機で屋根や壁を徹底的に除染した。

 除染作業を終えた園児宅の空間放射線量は目に見えて下がった。「ようやく安心できた」。作業に携わった保護者は涙を浮かべた。

 近藤は園舎の除染に取り組んだ際、保護者自身が除染作業に携わることで、放射線と向き合い、安心感を積み重ねることの大切さを肌で感じていた。「やって良かった」との保護者の言葉に、間違っていなかったと確信した。

 今月までに、園児宅約二十軒で除染作業を終えた。

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 昨年二月。近藤が参加している市民団体は、市内で子育てをしている親を対象に意見交換会を開いた。放射線の影響を気にするあまり、これまで通りの生活を送れなくなったり、精神的に不安定な状況に陥ったりしている親も少なくなかった。

 「わずかな放射線でも気にせずに遊べる場所が欲しい」。近藤は保護者の切実な思いを受け、すぐに動いた。

 二月二十七日。郡山市で屋内遊び場を開設していたNPO法人フローレンスの東京都の本部を訪ねた。「南相馬市に屋内遊び場を作ってはもらえないだろうか」と担当者に切り出した。市の現状と意見交換会で寄せられた親たちの声を丁寧に説明し、施設の必要性を説いた。

 近藤らの熱意が通じ、八月上旬、開所にこぎ着けた。NPOが有料で運営する施設には子どもたちが次々と訪れ、室内に設置されたブランコやすべり台、約三十平方メートルの砂場などで遊んでいる。

 近藤は「放射線に対する心配の度合いは人それぞれ異なる。除染は重要だが、それだけでは子育てへの不安は取り除けない」と思った。

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 よつば保育園には今、百六十六人の園児が通っている。震災前の二百十三人の七割程度だが、二十三年十月の再開当初の五十六人と比べれば大幅に増えた。

 だが、市内で保育園と幼稚園に通う園児は今月一日現在、八百九十八人と震災前の38・4%にとどまる。公立と私立合わせて計二十七カ所ある保育園と幼稚園のうち、震災後に再開した施設は十四カ所と半分にも満たないのが現状だ。

 市は公立の保育園と幼稚園の休園を継続することで、乳幼児の受け皿となる民間の保育園と幼稚園を存続させようと考えている。乳幼児が市内に戻っていない上、再開しようにも教員や保育士が足りないからだ。

 ただ、近藤は決して将来を悲観してはいない。「子どもたちがこの町で暮らすために除染は最低条件。その上で小児医療や教育、福祉などを充実させれば、必ず新たな未来が開けるはず」(文中敬称略)