【第1部 安心の尺度】(20)伝えたい思い 非情な「紙切れ一枚」

「来てもらえれば会津の良さを分かってくれるはずなんだ」
静まり返った会津若松市東山町の会津慶山焼の工房で、窯元・曲山靖男(71)は口癖のようにつぶやいた。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」の放送が始まり、市内は“八重一色”。ドラマをPRするポスターが観光施設に飾られるなど、関係者は今春の観光シーズンに期待を膨らます。
曲山もその一人だが、気掛かりなことが一つある。「教育旅行の誘客行脚は奏功するのだろうか…」
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から二度目の冬。目をつぶると、子どもたちの笑顔がふと浮かぶ。
◇ ◇
<平成二十三年五月二十六日、東京都・私立××高校、来訪予定生徒三百六十人。震災の影響により、陶芸体験をキャンセルします>
曲山の工房の片隅に、束のように山積みされたファクス用紙がある。受信日は全て平成二十三年三月十一日以降だ。会津慶山焼は教育旅行生の人気コースだったが、震災と原発事故後、キャンセルが相次いだ。連絡は紙切れ一枚。非情にもファクスのみが送られ続けてきた。
当時、曲山は、市や地元の観光関係者らでつくり、教育旅行を推進する「会津若松市教育旅行プロジェクト協議会」の副会長を務めていた。「この先どうなるんだ」。他の観光施設も同様にキャンセルの嵐が吹き荒れ、目の前が真っ暗になった。
事態を打開しようと、誘客作戦が始まったのは二十三年六月だった。協議会長は市長の菅家一郎=当時=だったが、曲山が公務の市長に代わり、実質トップとして県外の学校を訪問する日々が始まった。
<平成二十三年五月十三日〇・一六マイクロシーベルト、福島第一原発からの距離・会津若松市役所九七・九キロメートル、仙台市役所九五・三キロメートル->
A4判十ページに及ぶ会津若松市の現状を記した説明資料には、放射線測定値をはじめ、福島第一原発から同心円が引かれた距離図を記載し、原発との位置関係も記した。
それでも、学校側の反応は今ひとつだった。比較的放射線が低い会津でも、県外者にとっては「福島」というひとくくりにしかすぎなかった。
◇ ◇
宮城、新潟、千葉、埼玉…。曲山が二十三年度に誘致活動で出向いた学校は約五十校。協議会全体では約五百校に及んだ。
今でも曲山の胸から離れない言葉がある。「安心、安全と言うが、保護者にどう説明すればいいんだよ」。関東圏の中学校の校長に言われた罵声にも近い一言だった。
「俺は何か悪いことをしたのか…」。感情を押し殺し「よろしくお願いします。ご検討ください」と、ただひたすら頭を下げ続けた。
震災前の二十二年度に県外から会津若松市へ教育旅行に訪れた学校(小、中、高校)は八百四十一校あった。震災後の二十三年度は百校にまで激減した。二十四年度は二十四日現在、二百十校と回復傾向にあるが、まだ震災前にはほど遠い数字だ。
「学校も大変なんだよ。保護者の間に挟まれて。ただ、理解のある人にもたくさん巡り会えたのは貴重な経験だったな」
曲山ら協議会の誘致活動は決して無駄ではなかった。(文中敬称略)