寄り添う(上) 東北の底力見せる カメラで思いすくいたい

プロ野球日本一を願って応援するスタンドの東北楽天ファン=平成25年11月、仙台市宮城野区のKスタ宮城(現コボスタ宮城)

■河北新報社 写真部 佐々木浩明記者 46

 「東北魂」の応援旗がスタンドで冷たい雨を蹴散らしてはためく。あの旗がやけに頭に焼き付いている。
 昨年11月3日、プロ野球王者を決める大一番、日本シリーズ第7戦東北楽天-巨人が行われたKスタ宮城(現コボスタ宮城、仙台市宮城野区)。この日はバックネット裏に陣取った。試合の行方を追いながら、シーズンの楽天番として確かめておきたいことがあったのを覚えている。
 東日本大震災が発生した平成23年春、嶋基宏捕手が本拠地のファンの前で力強く誓った「絶対に見せましょう、東北の底力を」の意味するものは何なのか。
 9回、カメラのファインダーに田中将大投手が仁王像のように鬼気迫る表情で現れた。ファンは拝むように手を合わせた。シャッターボタンに指を置く自分は、何度も何度も唾をのみ込んだ。「全てが一つになっている」と肌で知った。
 震災の発生直後、選手たちは避難所を慰問し、被災者と触れ合う中でプロ野球選手として果たすべき役割とは何かを問い始めた。11月下旬、仙台市中心部で行われた優勝パレードで、沿道を埋めたファン21万4000人から「ありがとう」の大合唱が起きた。被災者に寄り添った結果の答えを見た思いがした。
 震災2年目の夏、被災地でもう1つ「東北の底力」を目の当たりにした。津波被害が大きかった宮城県石巻市門脇地区。火災で真っ黒に焼けただれた校舎を背に、少年野球の子どもたちが白球を追っていた。壁には「僕らは負けない」と手作りのメッセージが書き込まれていた。
 けなげな姿に胸が熱くなった。かわいい球児たちの頑張りを読者に届けようと、写真特集にして紙面で紹介した。後日、子どもたちからもらった手紙を読むと、ある大会で準優勝したとの報告があった。彼らも「底力」で父さんや母さんや友だちに元気を与えた。
 東北楽天の日本一を見届けた後、現在は震災取材班の1人として被災地を巡る。写真記者として何ができるのだろうかと日々自問する。
 歩く、走る、聞く、見る、そして撮る、写す、表す-。これしかない。心を深く痛めた人ほど、ひっそりと暮らしている。何千、何万とシャッターを切っても、被災地の悲しみは簡単にはすくい切れるはずがない。
 時にはカメラを置こう。友と語らうように、じっくりと時間をかけよう。「東北の底力」がみなぎるまで。そこにベストショットがある。

■写真の被災地取材
 大敵は土ぼこりだ。光学機器のカメラはごみや湿気によって、場合により使用不能になってしまう。震災の発生直後は津波の浸水地を巡る機会が多く、写真部員のカメラが数多く故障した。復興の途上にある現在はダンプカーが何台も行き交い、土ぼこりが舞う。頻繁にある漁業取材では海水が要注意で、少しでも浴びると取り返しのつかないことになる。ほこりを除去するブロワーやクリーナーは必需品だ。