第2部 営業損害(9) 移転再開の道暗礁に 自己資金10億円必要

病院の移転再開計画を記した書類。計画は補助事業の内容変更に伴い暗礁に乗り上げた

 南相馬市小高区で精神科を中心に診療していた小高赤坂病院は、東京電力福島第一原発事故で休業を強いられた。病院周辺は避難指示解除準備区域で住民の避難が続く。国が除染を進めている。

 原発事故前、患者の多くは南相馬市や相馬市、双葉郡の住民だった。開院から30年近くかけて築き上げた「診療圏」の多くは原発事故によって崩壊した。


 「地域の精神科医療を担う使命がある。早期に立て直したい」。院長の渡辺瑞也(みずや)さん(72)は昨年2月、相双地方北部への移転再開を計画した。

 県庁の地域医療課を訪ねた。原発事故による被災病院への支援策について、県から説明を受けるためだ。担当職員に面会し、窮状を訴えた。移転再開に伴う施設・設備の整備費用を5分の4まで補助する警戒区域等医療施設再開支援事業があるのを知った。

 補助金を活用して施設を建設し、営業損害の賠償金を運転資金に充てれば再開は可能だと考えた。原発事故から3年近くふさぎ込んでいた気持ちが少し、前を向いた。1カ月後、退職せずに待機している大勢の職員に宛てて手紙を書いた。

 「再開に向けて可能な限り努力したい」

 移転の候補地がある自治体に相談すると、歓迎の意向を示してくれた。5月、補助事業を活用して移転したいとの考えを県に伝えた。


 担当職員から思わぬ言葉が返ってきた。「事業内容が一部変更される。少し待ってください」。県からの連絡を待ち続けた。8月になり、ようやく説明を受けた。変更された補助事業は、補助上限が設定されていた。住民の避難の長期化に伴い、県が想定した規模を上回る補助申請の相談があったためだ。補助金は、試算していた移転再開費の半分にも満たない金額になった。

 新たな施設建設などに掛かる費用は計算上、16億円に上っていた。補助金を受けても、開院後の初期費用を含めると10億円余りの持ち出しが必要になった。

 休業している小高区の病院の病棟建築費など借入金の返済が残っている。新たに巨額の資金を捻出することは不可能だった。半年近くかけて練り上げた計画は、暗礁に乗り上げた。

 「営業損害賠償を頼りに、小高区での病院再開を目指すしかないのか」。だが、昨年末、移転再開を実現できず沈む気持ちが、さらに追い詰められる事態に直面する。