福島をつくる(7) 第1部 企業の覚悟 浜通り交通(楢葉)

楢葉町の6号国道沿いにある浜通り交通本社。屋根瓦は崩れたまま残る。原発事故直後、永山はバスを運転し住民を乗せて避難した

<緊急時 望む人運ぶ>
 再び原発事故が起きた場合に備える-。浜通り交通社長の永山剛清(53)と専務の塚越良一(50)は万が一を考え、社員に燃料確保の対応を指示している。
 バスの燃料が残り半分になれば給油するよう社内規則にした。スタンドに向かう回数が増え、余計に走るようになる。ただ、燃料が不足し、多くの県民が思うように移動できなかった東日本大震災の混乱は頭から離れない。規則には緊急時に避難を望む住民、収束作業に当たる作業員を運ぶ責任感が込められている。

 平成23年3月11日、楢葉町にあった本社は大きな揺れに襲われ、室内は書類や事務用品が散乱した。永山はバスを運転し、町内の自宅に着く。停電でエアコンは動かず、夜は車内で過ごした。エンジンをかけて暖房をつける。近所の住民が一人、また一人と集まった。ドアを開け、一緒に寒さをしのいだ。
 12日早朝、サイレンの音で目を覚ます。警察官がパトカーから降りてきて永山に叫んだ。「漏れてる、漏れてる」。「落ち着け。何が漏れてるんだ」。東京電力福島第一原発から放射性物質が漏れているという情報だった。
 永山は避難を望む住民をバスに乗せ、原発と逆方向のいわき市へ移動した。市内の駐車場に止め、住民と数日を過ごす。情報は入り乱れた。永山は約40人の住民を乗せて南下を始める。千葉県松戸市で福島県人会を頼ったところ、県人会を通して市が公共施設を提供した。
 乗せてきた住民が永山に頼み込む。「親戚がいる山形に行きたい」「静岡にいる家族に物資を運びたい」。燃料はまだ残っていた。「走れるだけ走ろう」。永山は住民の望みを一つ一つかなえた。誰を乗せたか、何を運んだか覚えていない。運賃ももらわなかった。燃料があったからこそ住民の願いに添えたと思っている。

 震災から2週間ほどたち、永山に一本の電話が入る。「早くバスを動かしてくれ」。東電の関連会社からだった。水素爆発が起きた福島第一原発で、核燃料の冷却などに当たる作業員の移動手段がなかった。放射性物質を再び飛散させてはならない。電話は悲痛な訴えだった。
 いわき市は人影がなくゴーストタウンのようだった。「原発対応にバスが必要なんだ」という言葉が聞こえた気がした。「戻ろう」。永山と塚越の気持ちは固まった。(文中敬称略)