(5)《影》先を見て人づくり つきだてやさい工房(伊達)

「つきだて花工房」(正面)からの入り込みが減るなど風評に苦しんだ。道路を挟んだ右側が「つきだてやさい工房」
「つきだて花工房」(正面)からの入り込みが減るなど風評に苦しんだ。道路を挟んだ右側が「つきだてやさい工房」

 東京電力福島第一原発事故は原発から北西約五十キロにある伊達市月舘町にも深刻な影を落とした。

 月舘は北側で特定避難勧奨地点が設けられた伊達市霊山町、東側で全村避難となった飯舘村と接する。原発事故による避難指示は出されなかったが、地場産品の多くが出荷停止となり、その後の風評で主力産業の農業に大きな打撃を受けた。


 農産物直売所「つきだてやさい工房」でも逆風は著しかった。直売所に隣接する宿泊施設「つきだて花工房」からの入り込みが目に見えて減り、常連客も離れた。棚をにぎわせていた特産の花ワサビや山菜、キノコ、あんぽ柿など売り上げの上位を占めた商品が軒並み出荷停止となり、品ぞろえの面でも強みを失った。平成二十三年度の売り上げは約七百四十万円と前年から半減。先行きを悲観した会員農家の退会が相次ぎ、五十人いた会員は三十五人に減った。

 だが、販路の維持と回復に向けた努力は続いた。福島市のJR福島駅前で催される青空市「街なかマルシェ」をはじめ、復興支援で各地で開かれる物産展に出展して認知度を高めた。原発事故の翌年には放射性物質検査機器を導入し、安全性の確保とアピールにも力を入れた。

 売り上げは徐々に回復し、二十六年度には約千三百八十万円、二十七年度は約千四百八十万円と震災前の約九割に戻った。

 キャラクター作りが決まった二十八年、店長の三浦いつぎ(60)はある思いを強くしていた。「経営基盤をより確かにするには人づくりが重要だ」。苦難を乗り越えた先を見据え、運営の中核を担うグループ創設に動き出した。(文中敬称略)