(2)【第1部 コメを巡る事情】生産農家 キャンセルの電話

コメ売買の経過が記されたノートを見つめる和田さん
コメ売買の経過が記されたノートを見つめる和田さん

 「原発事故が起きる前は最高だったな」。鏡石町五斗蒔(ごとまき)町のコメ農家和田和久(57)は、自嘲気味に乾いた笑い声を上げた。

 手にするノートには、これまでにコメを売った経過がきめ細かく記されている。東京電力福島第一原発事故発生前と比べ、最近のページは空白が目立つ。個人や飲食店への直接販売がめっきり少なくなったためだ。


 忘れもしない。二〇一一(平成二十三)年三月。原発事故発生から数日後、自宅の電話が鳴り始めた。

 「放射能が危ないからもういらない」「店の客が嫌がっている」。生産したコシヒカリを買ってもらっていた県外の個人、飲食店からキャンセルが相次いだ。

 直接販売を始めて十五年余り。「福島の和田さんが作るコメはうまい」と口コミで評判が広がった。最盛期には、関東圏を中心に七十件ほどあった取引先が失われようとしていた。

 自分が世の中から見捨てられる。そういう恐怖を生まれて初めて味わった。自宅の大型冷蔵庫に二〇一〇年産米を保管していたが、電話をよこす相手に「安全です」と薦める気力も湧かなかった。無理強いするようで気が引けた。

 テレビは当時、原子炉建屋が爆発する映像を連日放映していた。インターネットや雑誌では県産品の危険性を指摘する書き込みや記事が相次いだ。不安をあおるような発言を繰り返す著名人もいた。


 コメ農家にとって、流通業者を通さない顧客への直接販売は大きな収益源となる。業者への手数料が浮くためだ。一俵(六十キロ)当たり五千円から六千円ほど利益が多くなると明かす関係者もいる。

 和田の場合、年平均百五トンほど収穫し、約三割を直接販売に当てていたが、原発事故発生後、取引先はゼロになった。六年半をかけ、取引を再開できたのは十件にも満たない。知人のつてを頼り買ってくれる相手を探してみたが、「福島産」と告げた途端、断られるケースがほとんどだ。

 福島のコメは全量全袋検査で安全性が証明されている。どうすれば分かってもらえるのか。答えは見つからないままだ。(文中敬称略)