(3)【第1部 コメを巡る事情】生産農家 「安全」訴え届かず

コメ農家の和田和久(57)が暮らす鏡石町五斗蒔(ごとまき)町の水田地帯。九月下旬から十月下旬にかけて、農家から出荷されたコメを運ぶトラックが頻繁に行き交う。
二〇一一(平成二十三)年三月に起きた東京電力福島第一原発事故後も変わらない秋の光景だ。
和田は収穫したコメのうち、個人・飲食店への直接販売分を除いた約八割を民間の集荷業者に、約二割をJAに出荷する。集荷業者との取引では業者側から価格を示され、自ら希望する額と合致すれば売り渡す。
県の推計によると原発事故発生前、県産米の集荷業者らから卸業者らへの販売価格の相場は全国平均より一俵(六十キロ)当たり二百円ほど安かった。原発事故発生後、価格差は千円ほどに広がり、現在も縮まっていない。和田が集荷業者に売る価格は一俵一万円を切ることはなかったが、事故後は九千五百円ほどまで下がった。
直接販売する相手は十件に満たない。だからこそ、「集荷業者に引き取ってもらえるだけありがたい」と自分に言い聞かせている。
四年前になる。コメの販路を少しでも広げたいとの思いから、郡山市で開かれた農家と小売店の仕入れ担当者の商談会に臨んだ。
「一キロ二百円でどうですか」。背広の男性が尋ねてきた。通常、利益の出る境目の相場は一キロ三百円だ。相手はプロのバイヤー。利益割れを知らないはずはない。県産米は徹底した検査を経て出荷されている。「安全は確認されているのだから一キロ三百円でどうでしょう」と訴えたが、関心を示さなかった。「福島」が買いたたかれていると、思い知らされた。
こんな経験もした。原発事故発生後、減収分を補おうと県内のある集荷業者で働いた。農家から集めたコメを保管する倉庫に、県外ナンバーの大型トラックが次々とやって来た。コメの行き先を聞くと、運転手は「企業秘密」としか答えなかった。
農家から集荷業者、卸売業者、小売・飲食店と続くコメの流れ。丹精込めて育てたコメが消費者に届くまでに一体、どれほどの人間が関わり、価格はどう決まるのか。県産米が安全だと知ってもらうには、どのような努力が必要なのか。霧の中に答えを探すような気がした。(文中敬称略)