(5)【第1部 コメを巡る事情】集荷業者 値引き、苦渋の決断

県中地区で営業する集荷業者の現在の倉庫内。原発事故発生後は在庫であふれた
県中地区で営業する集荷業者の現在の倉庫内。原発事故発生後は在庫であふれた

 県産米への風評に苦しんでいるのは生産農家ばかりでない。農家からコメを買い取る集荷業者にも影響は及んでいる。

 中通りのあるコメの集荷業者は、二〇一一(平成二十三)年の東京電力福島第一原発事故発生直後、取引先から突然、通告された。「うちの会社は福島産は扱わない。社の方針ですから」

 「福島県産は危険だ」と指摘する雑誌の記事やインターネットの書き込みが相次いでいた。集荷業者はキャンセルの理由は聞かなかった。ただ、消費者が県産を怖がっているのではない。福島産を扱っていないとアピールし、企業イメージを守りたいのだろうと直感したという。


 販路が断たれる一方、農家からの集荷を断るわけにはいかなかった。農家は少しでも高く買い取ってくれる業者を選ぶ。一度でも買い取りを拒めば、別の業者に切り替えられてしまうという心配があった。

 県中地区で営業する別の集荷業者も、農家からのコメの受け入れを拒めずにいた。在庫は膨らみ続け、二十万俵(約一万二千トン)以上が入る倉庫が満杯になった。倉庫の外にあふれた時期もある。

 何としても在庫を減らさなければと、苦肉の策に出た。異なる年に収穫したコメをブレンドし、外食業者らに買い取ってもらった。単年産の販売に比べて価格は下がるが、「苦渋の決断だった。仕方がなかった」と振り返る。


 状況が変わったのは、原発事故発生から三年が過ぎた頃だ。中通りの集荷業者に、県外の卸売業者や外食業者からの引き合いが増え始めた。県産米の相場が他産地と比べて安くなったためだろう、と察した。

 商談中、相手の言葉に驚いた。「ワンコインは安くないとね」。原発事故の影響で安くなった相場より、さらに一俵(六十キロ)当たり五百円値引いてほしいという要請だった。

 金融機関から融資を受け、農家からコメを買い取っていた。卸売業者らに売り渡さなければ金利がかさむばかりだった。在庫を早く減らせれば、金銭的な負担は少なくて済む。安定してコメが売れるのなら、多少安くてもやむを得ない。相手の言い値をのんだ。県産米を取り巻く新たな市場の構図が生まれつつあった。