(4)【第1部 中山間地で】西会津町奥川地区(4)集落支援に若い力


飯豊連峰の登山口に通じる弥平四郎(やへいしろう)集落は西会津町奥川地区の最北に位置する。多い年は二メートル超の積雪が十五世帯を覆い尽くす。「何か困ったことあっが」「変わりねぇが」。西会津町集落支援員の岩橋義平(64)は高齢者世帯を一軒一軒回って声を掛ける。限界集落の見守り活動に当たる支援員になって六度目の冬を迎えた。「過疎が進み、いつまで地域のコミュニティーを維持できるか分からない。安心して暮らせるよう住民の力になる」
町は二〇一一(平成二十三)年度、高齢化で集落の維持が特に困難になると予想される奥川地区の弥生、弥平四郎、大舟沢、新郷地区荒木の四行政区を担当する集落支援員一人を配置した。四行政区は六十五歳以上の住民の割合を示す高齢化率が70%を超える。支援員は行政区長や住民を訪ね、「道路や寺社の草が伸びてきた」「街灯が切れた」などの困りごとを聞き、町に伝える。
岩橋は奥川地区に生まれた。会津農林高を卒業後、専門学校を経て東京都内の設計事務所に勤めた。父の死去に伴い一九七五(昭和五十)年に帰郷した。古里は高齢者だけの世帯が増えていた。「このままだと廃村になる」。ひと昔前には想像もしなかった現実が迫っていた。五十八歳で勤め先を退職した後、集落支援員に応募した。
「そっとしておいてくんねぇか」。集落の中には心を開いてくれない住民もいた。それでも最低週一回は足を運び続けると、徐々に悩みを打ち明けてくれるようになった。「義平さん、お茶でも飲んでかせ」。一人暮らしの高齢者にとって岩橋は良き話し相手だ。
昨春、集落支援に若い力が加わった。福島大で中山間地域について研究し、町地域おこし協力隊員となった小林拓也(23)=栃木県出身=だ。岩橋と一緒に四行政区の一軒一軒を訪問し、住民の声に耳を傾けている。岩橋は二年ごと更新の任期が満了を迎える今春、退任を考えている。退任後は小林が支援員の役割を引き継ぐ。「活動の道筋は付けた。若い世代が今以上に集落を支えてほしい」(文中敬称略)