(8)【第1部 中山間地で】三島町宮下地区 交流拠点で活力を

夕市に来た町民を見つめる菅家さん(左から2人目)。4月の交流拠点開設に向けて準備を進める
夕市に来た町民を見つめる菅家さん(左から2人目)。4月の交流拠点開設に向けて準備を進める
IP180111MAC000017000_00.jpg
IP180111MAC000017000_00.jpg

 「みんなとのおしゃべりが楽しい。いっつも来てんだ」。昨年十一月、奥会津の三島町宮下地区で開かれた夕市で伊藤ミツ子(84)は声を弾ませた。会場の空き家にはパンや野菜、総菜が並び、小中学生や主婦、高齢者らが訪れる。夕市は町商工会双方向流通システム(TWD)委員会が二〇一五(平成二十七)年から月二回催し、普段は会う機会の少ない町民同士が顔を合わせる場になっている。委員会メンバーで商店経営の菅家三吉(みつよし)=(41)=は「人が集う場所をつくれば町は必ず元気になる」との思いを強くした。


 町の一月一日現在の人口は千六百七十八人。ピーク時の一九五〇(昭和二十五)年の七千七百二十一人と比べ約四分の一だ。六十五歳以上の割合を示す高齢化率は50%を超える。菅家は町内で祖父の代から五十年続く商店を営み、食料品などの移動販売もしている。

 移動販売で高齢者と触れ合う中で、隣近所同士の付き合いが薄れていると感じた。「交流がないと住民に活力がなくなる。夕市会場の空き家を、さらに多くの人が集まる交流拠点にしよう」。町の地域おこし協力隊として夕市運営を手伝っている佐藤彩乃(25)=会津若松市出身=と昨年十一月、新たな交流拠点を運営する株式会社を設立した。


 菅家の父が所有する空き家を改修し、四月から交流拠点にする。総菜の宅配や地元食材を使ったランチの提供を検討しているほか、住民の困り事相談や移住希望者の問い合わせ窓口を設ける。キャンプ道具の販売・貸し出しや野外イベントも企画し、町内へ人の流れを呼び込む。佐藤は「SNS(会員制交流サイト)を使って利用を呼び掛けたい」と張り切る。

 社名は、自然を敬うインディアンの精神に町民の姿を重ね、インディアンの家系の俳優ウィル・サンプソンにちなみ「SAMPSON(サンプソン)」とした。「P」を取るとサンソン(山村)と読める。「山村生活に革命を」。二人は若い力で古里の活路を切り開く。(文中敬称略)