【国策への異議2】「避難者の無念晴らす」 敗訴20年、新たな闘い
「なぜ、また訴訟を起こす事態になってしまったのだろう」 楢葉町の宝鏡寺住職、早川篤雄(73)の胸中には、やりきれなさが込み上げた。 昨年12月初め。早川は「福島原発避難...
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もっと見る...楢葉町の宝鏡寺住職、早川篤雄(73)は、書類の重さの感触を今も思い出す。そこには、町の有権者の4割に当たる約2200人分の署名が掲載されていた。 昭和47年、国の電源開発...
もっと見る...平成23年3月16日。東京電力福島第一原発事故から5日後だった。楢葉町の宝鏡寺住職、早川篤雄(73)の携帯電話が鳴った。 電話番号に見覚えはない。「反対運動に関わってきた...
もっと見る...昭和47年12月、日本学術会議は「第1回原子力問題シンポジウム-原子力発電の安全について-」を開いた。 前年の46年3月に東京電力福島第一原発1号機が営業運転を開始してい...
もっと見る...東京電力福島第一原発事故で被災した本県などの約350人は、慰謝料などを求めた集団訴訟を、事故から2年を迎える3月11日に、福島地裁に起こす。 1月初め、その訴訟の弁護団会...
もっと見る...東京電力福島第一原発事故から数カ月後。福島市の弁護士、安田純治(81)は自らの事務所の倉庫から、ある資料を探し出した。 かつて弁護団長を務めた福島第二原発の原子炉設置許可...
もっと見る...いわき市議や県議を務めた伊東達也(71)は、福島市で3月に開かれる日本科学者会議主催のシンポジウムに備え、資料の取りまとめに当たっている。 伊東は原発問題住民運動全国連絡...
もっと見る...昭和50年1月7日午前11時半ごろ、福島市民福祉会館(当時)の1室には熱気があふれた。福島原発訴訟の訴状提出に先立ち、原告と支援者らの決起集会が開かれていた。原告を含む約2...
もっと見る...福島原発訴訟は昭和50年1月の提訴後、9年半にわたり、福島地裁で45回の口頭弁論を繰り広げた。 59年7月23日。福島地裁には午前8時すぎから原告団や支援者、報道関係者ら...
もっと見る...控訴棄却は、原告の住民にとって予想していた範囲内だった。平成2年3月20日午後1時半すぎ。仙台高裁101号法廷に、裁判長の静かな声が響いた。 続けて、裁判長は判決理由を読...
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