【覆された備え3】県、事故報告見合わせ 手薄だった緊急時対策
昭和48年、東京電力福島第一原子力発電所で放射性廃液の漏出事故が起きた時、県議会は6月定例会の会期中だった。 県は発生から4時間後の6月25日午後8時半ごろに東電から事故...
もっと見る...昭和48年、東京電力福島第一原子力発電所で放射性廃液の漏出事故が起きた時、県議会は6月定例会の会期中だった。 県は発生から4時間後の6月25日午後8時半ごろに東電から事故...
もっと見る...県は東京電力から支払われる核燃料税の税率や使い道を5年に1度、見直した。昭和62年、県税務課が中心になって、3期目の課税期間に向けた準備を進めた。その検討の中で、ある職員が...
もっと見る...3月末に県を退職した鈴木義仁(59)は「かつて手掛けた仕事をどう受け止めるべきか」に思いを巡らす。 三十数年前に原子力防災に関わった。そして、退職前の1年間は、農林水産部...
もっと見る...大熊町の県原子力センターに設けられたモニター画面の前に、県外からの視察者が集まった。昭和58年11月30日。本県初の原子力防災訓練の様子がリアルタイムで画面に映し出された。...
もっと見る...平成元年7月、県生活福祉部長に就いた新妻威男(77)は、11月に予定されていた原子力防災訓練の計画案を修正するよう部下に指示した。 「原発立地地域の人たちが入らない訓練に...
もっと見る...「シビアアクシデント(過酷事故)に対応する訓練にしたい」。10年ほど前、原子力防災を受け持った県職員は県の主な部局に相談を持ち掛けた。 ところが、一部の部署から予想もしな...
もっと見る...東京電力福島第一原発事故を調べている国会の調査委員会(国会事故調)のメンバーが次々と質問を繰り出した。 「日頃の訓練は役に立たなかったと思いますか」 「ヨウ素剤はいつ服...
もっと見る...茨城県の民間バス数10台が大熊町役場近くの県道沿いに停車していた。乗客の姿はない。東日本大震災の発生から半日しか過ぎていない昨年3月12日午前4時半ごろだった。 「どうし...
もっと見る...大熊町民を乗せたバスは、町と田村市をつなぐ288号国道を何度も往復した。昨年3月12日早朝、政府の避難指示は東京電力福島第一原発から半径10キロ圏に拡大した。第一原発が立地...
もっと見る...「危機管理が希薄だった。国の責任で訓練することが本来の筋ではないか」。浪江町長の馬場有(63)は不満をぶつけた。 今月21日、二本松市で開かれた国会の原発事故調査委員会(...
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